【マスターベル】
@ 童話に登場する伝説の妖精。
A 「始まり」と「終焉」を告げる弔いの鐘の名。
B 時を超えて鐘を鳴らす妖精の通称。
※ ※ ※
彼女は憂いの瞳で、手にした鐘(ベル)を見つめてた。
小柄な彼女の身体は、抱きしめれば折れるほどに細い。華奢と呼ぶよりも、病的な――人間のそれとは異なる身体。その証拠に、彼女の背には透き通った、自分の背丈ほどの大きさの羽根がある。
虚空に浮かぶ彼女をよそに、大地が震え、空気が振動する。
彼女の足下に、大勢の人間がいた。
人々の大地を踏みしめる音が大地を震わし、怒号に似た鬨の声が空気を激しく振動させる。
戦が始まろうとしていた。
人類と呼ばれるものが生まれてから、幾度となく繰り返された光景。
戦乱が、彼女の合図を待っている。
炎と煙、破壊と死が、彼女の合図を待っている。
憂いをたたえていた彼女の顔から、表情が消えた。
彼女は口が聞けない。
代わりに、彼女の手には鐘が握られている。
すべての世界に、時を超えて鳴り響く鐘が。
無慈悲とも取れる瞳で、眼下に広がる人々を見る。
鐘が、高らかに鳴り響いた。
「始まり」
と
「終焉」
累々たる死体の中、彼女は静かにたたずんでいる。
足下に転がる死体に、彼女は意志なき瞳を向けた。
その瞳に、一筋の涙があふれる。しかし、その表情は動くことがない。
戦いは終わった。
歴史の分岐点とも呼べる戦いは、勝者なき戦いでもあった。
それは、これから続くであろう混沌を意味している。
動くものすらいない人々の間で、彼女は天を見つめて涙していた。
やがて、彼女は動き出す。
ひたすらに大地に穴を穿(うが)ち、人々を弔う。
たった一人で、動くもののない地獄絵のような死の匂いの立ちこめた世界で、彼女は止まることなく死者を葬る。
弔うこと――それが彼女の役目なのだから。
他者に触れ合うことを禁じられた彼女は、死者だけに触れ合うことができる。
それは、ひどく悲しくつらい。
すべての戦死者を葬るまで、彼女は黙々と働いた。
ただ一人。
永遠の孤独。
もしも、彼女の姿を見る者がいたとしても、その姿は死者を喰らう悪鬼のようにしか思えないかもしれない。
立ちこめる死の中、彼女は無表情に涙する。
流される涙は、歴史に殺された人々のために。残された家族を思い、彼女は涙する。
彼女の涙に送られて、多くの魂が消え去っていく。
すべての死者を弔い終えた彼女は、再び憂いの瞳を浮かべると、手にした鐘を打ち鳴らす。
誰にも聞こえない澄んだ音が、時を超えて鳴り響いた。
時代はこうして幕を下ろし、時代はこうして訪れる。
すべての時を刻むのは彼女。
たった一人で、孤独に時だけを見つめている。
時を刻む鐘が、「始まり」と「終焉」を告げる。
自らには何の力もなく、ただ鐘を鳴らすだけの妖精――永遠の孤独に捕らわれた彼女を、人は「マスターベル」と呼んだ。
※ ※ ※
すべての始まりに戦乱があった。戦乱は混沌を呼び、混沌の中で生きようとする強い生命(いのち)を産み落とした。新たなる生命は秩序を作り、世界を構成し、強き生命はやがて堕落しては新たなる戦乱を呼び覚ます。
「循環する生命」
循環する生命の営みの中、それぞれの時代の「始まり」と「終焉」を告げる役割を持つ妖精の名こそが「マスターベル」である。彼女の持つ鐘が鳴らされることで、時代は始まり、時代は終焉を告げる。そこに『歴史』と言う概念が生まれ、『時間』という概念が生まれていく。彼女が鐘を鳴らさなければ、『歴史』も『時間』すらも人は理解することはできない。それは永遠に区切りのない『今』をさまようことを意味している。それを防ぐために「マスターベル」は存在し、彼女の名は世界の人々の記憶の中に刻まれていった。それはすべての世界、時さえも超えて語り継がれていく。
「マスターベル」は力を持たない。必要がない。ただ時代を見つめ、人を見つめ、鐘を鳴らすだけの彼女は存在するだけでいいのである。彼女が時代を作るのではない、彼女が時代を壊すのではない。ただ、告げるだけ。そんな彼女は、そういった力関係を完全に逸脱した存在であるのだ。不変であることが最強の証。ただ「時を刻むだけ」の、永遠の孤独に捕らわれた妖精。当然、彼女が神であるはずもない。
ただ、その存在ゆえに、彼女はすべての世界に存在し、時を刻む象徴として語り継がれる。「マスターベル」が鐘を打ち鳴らすことで、時は「始まり」と「終焉」を持つ一区切りの『時』となり、彼女が鐘を鳴らすことで歴史は形を持って人に認識できるのだ。
※ ※ ※
「マスターベル」は『時』という見えない流れを認識として区切るための「しおり」であり、鐘を持った妖精の姿で伝えられている。彼女を示すシンボルとしては、それ以外に「砂時計(=区切られた時間)」や「ランプ(=道しるべ)」として描かれることが多いが、やはり「鐘を持つ妖精」の姿が一般的には有名である。この姿が、一般の「伝説」において語られる「マスターベル」の姿なのである。
「忘れられた妖精の伝説」 : 検証 『Studio
MASTER BELL』
執筆 : 高嶺 俊
BGM:『Solitude』新居昭乃
データ作成:hina
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