夜の匂い

by/高嶺 俊

 私は桜の木の下で眠る。
 ただひたすらに。
 いつか食べられる、その時まで。

※        ※        ※

「――知っていますか? 桜の木の下にはね、死体が埋まっているんですよ。だからこそ、桜はあんなにも美しく、あんなにも儚(はかな)く咲くのです」
 言って、『その人』は優しくそっと私の頭を撫でた。
 その感触を覚えいる。
 それが、私のもっとも古い記憶だ。
 夢であったのか、現実なのか、すべてが曖昧に溶け込んでいく記憶。
 なぜ、こんなことを思い出してしまったのだろう――私は疑問に首をひねりながら、ぼんやりと視線を窓へと向けた。
(ああ、そうか――)
 『それ』を見て、私はうっすらと笑みを浮かべた。
 視界の中に、ひらひらと舞うものがある。
 月光を浴びて、一際白く眩しく舞うそれは、桜の花びらだった。
 私は、昔から桜が怖い。
 桜は人を狂わせる花だというが、私はその美しさの中に漂う違和感に恐怖を覚えてしまうのだ。
 美しすぎる――花も人も、それだけで恐ろしい。
 いや、美しすぎるということは、すでに花だとか人だとか、そう言った次元を超越してしまったものを、本当に花や人という言葉で表現してしまっていいのだろうか――ぼんやりと思う。
 そして、怖いからこそ惹かれるのだろう。
 目の前を花が舞う。
 鼻につく甘美な匂い。身体の奥底に眠っていた、過去の記憶。
 舞う桜の花を見るうちに、私は夢のような過去を思い出していた。

※        ※        ※

 重厚な闇が世界を埋め尽くしている。
 のしかかる太古の闇の中に、夜の匂いがあった。
 まとわりつくような重さの中に漂う甘い香り。
 古(いにしえ)の土地に残る過去の残滓(ざんし)。
 そんな闇を斬りつけるように、眩しい光が地上に投げかけられていた。
 たまらなく大きな月が、皓々とした白い輝きを放つ夜。
 昼間とは違うその様相に、私は眠れないまま窓から外を見つめていた。
 幼い身体と瞳に、月光が暖かい。
 静寂がひしめく中、私は『誰か』に呼ばれた気がした。
 思わず首をすくめる。
 両親が眠らないことを叱りにきたのだと思ったからだった。
 けれど、子供部屋の扉は開かれることはなく、足音すらない。
 静まり返った夜の中、私は弾かれたように背後を振り返った。
 『声』があった。
 私を呼ぶ『声』。
 振り返った私の視界を、揺れる白が埋め尽くした。
 薄い月光の光を受けて、舞うものがある。
 『それ』が私を呼んでいた。
 ひらひら
 ひらら 
 舞う。
 ひらら
 ひらひら
 白が舞う。
 私は導かれるようにして外に飛び出していた。今になってみれば、どうやって外に出たのだろうと疑問に思う。子供部屋は、一階にあったわけではないのに。 
 土の感触が足裏に伝わってくる。
 子供特有の好奇心ゆえか、不思議と恐怖は覚えなかった。
 舞い散る白が、私を包み込むように舞っている。
 視界一杯に染まるそれが、桜の花びらであることに、私は気がついていた。手を伸ばすと、小さな手のひらに花びらが積もる。肌に触れたそれは白ではなく、ちゃんとした薄紅色だった。ぎゅっと手をにぎりしめると、柔らかな、かすかな感触がして、ぷうんと甘い匂いがする気がした。むろん、気のせいに違いない。再び広げた手の中には、細かく千切れた花びらがあった。それもまた風に舞い消える。
 私は何だか嬉しくなって舞い散る白い光の中を走り出した。
 笑う。
 まるで別世界に紛れ込んだようだった。
 月の照らす長い影が私の足元から伸び、その黒を覆うように花びらが積もって行く。
 ひらひら
 ひらら
 花が舞う。
 ひらら
 ひらひら
 私は笑う。
 どれだけの時間が経ったことだろう。
 どれだけの距離を歩いたことだろう。
 閃光――としか思えない光景が私の視線を焼いた。
 気がつくと、私は大きな桜を見つめていた。
 どれほどの歳月がこれだけの大きさを築くのだろう――そう思わずにはいられないほど大きな木。黒く煤を塗ったような樹木に、目映いほど輝く花びらが美しい。背後に浮かぶ月が、白い輝きを桜へと照らしつけていた。
 濃厚な花の甘さが花を燻(くすぶ)る。
 幻想的な美しさ――まさに、この世のものとは思えないほどに。
 私は思わず駆け出そうとして、ふと足を止めた。
 声を上げなかったことは、奇跡に近い。
 木の周囲に座る『異形』の群れに、私は初めて気がついた。
 それは決して人間ではなかった。
 手足を持った姿は人間だが、その大きさが違う。
 大きすぎるもの。
 小さすぎるもの。
 手足の数も、二対とは限らない。
 ボロボロの古びた着物を纏(まと)い、顔には揃って木彫りの面がつけられていた。
 荒削りに彫り込まれたそれは、すべてが人間を模してあったが、しかしその奥から覗く光が違う。
 眼光だけでわかる。
 それは、決して人間ではない。
 獣ではない。
 何より、それぞれに異なる面に唯一共通する『それ』が、面の主たちの正体を示していた。
 “角”――
 身動きすらできない私に気づかないように、彼らは桜の木を囲むようにしてして言葉を交わしていた。
 宴会でも開いているのだろうか、けたたましく笑い、怒号にも似た声が闇に轟く。大きな木皿には得体の知れない料理が盛られ、手には酒杯が握られているが、遠目にはそれが何であるかわからない。
 突然、一人の異形が立ち上がった。
 他の異形たちとは異なり、見た目には長身な人間としか思えない。着ているものが古びた着物などではなく、現代的であることも違和感の原因かもしれなかった。すべてが黒が統一された姿は、まるで夜そのもののように思える。けれど、その顔には、やはり木彫りの面がつけられていた。
 他の異形たちが何か告げるよりも早く、黒い異形は動いた。
 ゆるりと舞い始める。
 肩口ほどもある長い髪が風に舞い、思いのほか優雅な仕草で異形は大地を滑るように進む。高らかに手を広げ、また時に大地を激しく踏みしめる姿は、月と桜を背景にして、幽玄の世界を創り出した。
 ひらひら
 ひらら
 花が舞う。
 ひらら
 ひらひら
 鬼が舞う。
 恐怖すら忘れ、私はその舞いに見取れていた。他の異形たちも、私と同じように物音一つ立てず凝視している。
 思い出したように、他の異形たちが動いた。
 どこから取り出したのか、各々(おのおの)の手には古びた楽器が握られていた。笙(しょう)や琵琶、尺八など時代も古さも異なるそれらの音色が夜に熔ける。それを奏でているのは言うまでもなく、面を持つ異形たちだ。楽器のない異形たちは、面の奥から声をあげて歌った。滔々(とうとう)と流れる声は高く低く空気を震わせ、舞っていた異形はさらに水を得た魚のように、さらに優雅にさらに美しく闇を飛ぶ。
 長いような、一瞬のような時間が終わった。
 知らず、私は桜のすぐ側まで近づいていた。
 静寂が闇に張りつめる。壊したくないような余韻が漂う中、誰もが魂を吸い取られたような浮遊感を感じていた。
 私もまたこの雰囲気を充分に味わいながら、ふと視線を動かした。
 吸い寄せられたように目が離せない。
 私が見たのは、先程まで異形たちが食していた木皿である。酒杯の中身である。
 ようやく、思い出したように声が出た。
「きゃああああああああああああああああ」
 私の悲鳴が静寂を破り、一斉に異形たちが私を見た。
 皿に盛られたもの――それは生々しい黒髪を引く女の頭蓋であり胸でありまた手足であった。白濁した眼球が私と会った気がして、私はさらに悲鳴をあげた。酒杯を満たす赤い液体は、紛れもなく血液に違いない。
(――誰ぞ)
(――誰ぞ)
 わさわさと異形たちが騒ぐ。
 わさわさと異形たちの髪が蠢(うごめ)く。
(童よ) 
(童じゃ) 
(新たなる贄か)
(新たなる贄よ!)
 声が響く。
 一斉に振り向いた異形の面がはらりと落ち、地面に触れて砕ける。
 しかし、面の下にある顔は、やはり人間のそれではなかった。
 醜く、そして形の崩れた彼らには、当然のように“角”がある。
 かかか
 くけ
 『鬼』たちが笑う。
 ようやく我に返った私は、後ろも見ずに駆け出した。
 ひらひら
 ひらら 
 花が舞う。
 かかか 
 くけ
 鬼が笑う。
 私は幼い身体で懸命に駆けた。
 背後から、声をあげて鬼が追う。
 手には、鈍く光る鉈が握られているようだった。  
 幼くても、捕まればどういう目に会うのかわかる。
 逃げなくては。
 逃げなくては。
 ひらひらと舞う桜の花びらが視界を隠す。私を覆い尽くす。
 私は花びらを掻き分けるように進むが、その動きは遅々として進まない。
 もぞりとした感触に、私は背後を振り返った。
 私に降り注がれている花びらが、まるで生き物のように蠢(うごめ)いていた。
 瞬きする間に桜の花びらは一匹の妖鬼に変わった。浅黒い肌に突き出た腹。その姿は餓鬼と呼ばれるモノに似ていた。
 何枚もの花びらが、何匹もの妖鬼に変わる。 
 不思議なことに、それでも花びらの甘い香りは変わらなかった。
 無数の妖鬼は耳障りな声をあげると、それぞれが私の背中に爪を立てた。
 髪をひっばり、耳をつねる。
 嫌悪感から悲鳴を上げ、必死になって身体を振るが、小さな花びらの鬼たちは離れることはなく、私の身体に傷をつくる。
 ぴりり
 ぴりり
 ああ、皮膚が剥がされていく――
 ぐりり
 ぐりり
 ああ、肉が引き剥がされる――
 無数の小さな腕が私を切り裂いていく。  
 逃げなければ。
 逃げなければ。
 しかし、私は気づいていた。たまらなく恐ろしく、たまらなく怖いのに、なぜ心は弾むのだろう。生きながら皮膚を肌を血管を骨を引きずりだされていくというのに、私はひどく興奮していた。まるで性的な快感にも似たそれを味わいながら、私はこのまま喰われていくのもいいかもしれないと思った。
 足が止まる。
 逃げることを放棄して、私が振り返ろうとした時――

 風が吹いた。
 
 舞い散る花びらが妖鬼が真二つに断ち斬れた。
 皓々と照らしつける月の輝きでさえ、瞬間消えた気がする。
 夜の闇ですら斬りつけた風の激しさに、私は思わず目を閉じた。
 身体が軽くなる。痛みが薄れていく。
 遠くで、人間とは異なるモノが悲鳴をあげた。

※        ※        ※

 目を開くと、大きな月が見えた。
 けれど、その月は白い輝きなど持ってはいなかった。ただの月。記憶にある月に比べれば、真昼に見る月のように凡庸(ぼんよう)で消え去りそうなほど目立たない。
 ふわりと頬に一枚の花びらが止まった。
 ハッと我に返る。
 私は自分が誰かの腕に抱かれていることに、ようやく気がついた。
 慌てて視線を向けると、異形の面が見えた。
 そして、全身を覆い隠す黒。
 夜の化身のようなその姿に見覚えがあった。
 あの桜の木の下で、舞いを踊った『鬼』である。
 恐怖から身体をすくめる私に、『鬼』は優しい声で言った。
「……僕は、別に『鬼』などではありませんよ」
 驚いた顔で見つめる私を、そっと地面に降ろす。
「まあ、ただの人間でないことは認めますけどね」
 直感的に、私はこの人が助けてくれたんだ、ということがわかった。
「あ、ありがとう……助けてくれたんだよね」
 面の男は答えない。
 ただ、薄く笑った気がした。
「――知っていますか? 桜の木の下にはね、死体が埋まっているんですよ。だからこそ、桜はあんなにも美しく、あんなにも儚(はかな)く咲くのです」 独り言のように呟き、『その人』は私の頭をそっと撫でた。
「だから、時々ね、桜は人を惑わします。自らが綺麗に咲くために、鬼たちが安らかに眠れるように、桜は時に魔に変わる。でも、なぜか憎めないのは、桜があれほど美しいからかもしれませんね。桜の見せた、つかの間の夢です――」
 言って、『その人』はそっと指を指した。
 その先に、一本の桜があった。
 ひからびた幹は黒くくすみ、枯れ果てた一本の桜。その周りには、なぜか真二つに断ち斬られた古びた楽器が転がっていた。
 なぜか、私はひどく悲しい気持ちになった。
 『その人』は、そっと尋ねた。
「一つ、聞いていいですか?」
 こくん、と頷く。
「あなたは、あの桜が綺麗だったと思いますか?」
 こくん、と私はもう一度頷いた。
 怖かった。たまらなく怖かった。けれど、あの桜の美しさを否定することはできなかった。感動するほど、桜は美しかったのだ。
「いい夜でしたね――」
 誰に言うでもなく、『その人』は告げると
「さあ、もう帰りなさい。もう二度と、夜に惑わされてはいけませんよ」
 言って、男はそっと異形の面を外した。
 その下にある顔は、びっくりするほど美しく、金色の瞳が優しく私を見つめていた。

※        ※        ※

 気がつくと朝で、私は自分の部屋で眠っていた。
 ただ、頬に一枚の桜の花びらを残して。

※        ※        ※

 春になると思い出す。
 舞い散る夜に思い出す。
 眩しいほどに美しい桜と、あの人を。
 闇に舞うあの人が誰であったのか、人間であったのすら、私はわからない。
 ただ、桜の下に立っていると思う。
 こうしていると、いつかまた出会えるのではないかと。
 夜の匂いの漂う中で、私は一人夢を見る。
 ひらひら
 ひらら
 花は舞い
 ひらら
 ひらひら
 私は眠る。
 鬼に喰われる、その時まで――

(夜の匂い・了)

 
 桜舞い散る春の夜に 黒き衣の鬼が舞う 
 酔いしれる花びらの中 静かに歌い眠る永久(とこしえ)の夢

 

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