はかせ その壱、その弐
by/初代 達人
さて問題だ。
この偉大なる私が、誰であるか述べよ。
例)天国からきたチャンピオン
分かった者は、かなりの通といえよう。よって、貴様には何も言わん。本編が始まるまで、その辺で時間を潰しているがいい。
分からない? 知りません、だと・・・? 貴様、この私を知らぬと申すか・・・ふむ、死して償え。この人類史上最大のカリスマとでも言うべき、偉大かつエレガントな私を知らぬなど、もはや死罪!
さぁ死ね。とっとと死ね。心置きなく死ね。後の事は気にするな。
「はかせぇ・・・」
この私と違い、塵芥の如き凡人など、幾百万が死のうとも構いはせん。
「はーかーせー」
死にたくない? そのような言葉に耳を貸す私ではないわ。
「はぁーかぁーせぇーっ!」
そうだな・・・とりあえず、世界中の核のホットラインを支配し、何も考えずにスイッチ・オン!
これならば愚昧なる者共も、私の名を脳裏に刻み込むであろう。
うむ。そうと決まれば、まずはロシアあたりから支配するかな。
支配・・・いい響きだ。
「あのぉ――恍惚としてコワイ笑みを浮かべてると・・・捕まっちゃいますよ」
おっと、ヨダレが・・・。
じゅるると白衣の袖で拭い、私は声の方向に視線を向けた。
薄暗い部屋には、彼女のまっ白なブラウスが眩しい。
むむっ!この私の研究室にいる、キミは誰だ?
眼鏡をかけなおして見たところ、まだ若いではないか。ちゅーがくせいかね?
「ううっ・・・高校生ですぅ」
高校生か・・・私も、そう呼ばれていた時期があったような気がする。あの頃の私は、きっと高校生だったに違いない。
せっかくだ。キミの名をきこうか?
「あのぉ・・・はかせは、知ってるじゃ・・・」
ほほ笑みを浮かべてパンチ。
「しくしく・・・吉藤加奈子ですぅ・・・」
よしふじ・・・かなこ・・・懐かしい響きだ。
不思議なものだ。キミの名前は、どこか懐かしさをおぼえる。
この私に、そのような名を告げるとは――。
「あのぉ・・・遠くを見られても困るんですけどぉ・・・」
肩口で切り揃えられた髪を揺らし、小さく細い首を傾げながら彼女が私を見ていた。
よしふじ――吉藤の加奈子くん。
昔――私が研究助手を募集した頃、ただ一人だけ尋ねてきた少女の名前だったな。
聖蘭とかいうお嬢様学校の生徒ではあったが、庶民の家に生まれ、奨学金で学校に通うという苦学生であった。本人は、まるで苦労を知らないような顔であったが、設定では苦労しているだろう。
あの聖蘭でも、全科目の総合で五本の指にはいる成績であったらしいが・・・とても信じられなかったぞ。かなり天然ボケだったし。
まぁ、そこが良いとかいう輩もいたがな。
加奈子くんか・・・彼女は、元気でいるだろうか?
幸せになっているだろうか・・・まぁ、どうせ私が核のボタンを押せば死ぬのだからな。不幸だろうが、幸せだろうが関係ないだろう。
「ええっ!? わたし、いなくなるんですか?」
「加奈子さん、放っておきなさい。はかせの得意な妄想につきあっても、良いことなどひとつもありませんわよ」
むっ・・・せっかくの気分に水を差す無粋な声。
知らないうちに、一人ばかり増えているではないか。
「ふんっ! わざわざインターネットで恥をさらすというから見にくれば、ただただ妄想ばかり。あなたの日常と、どう違うと言いますの」
日本人形のようなサラサラとした黒髪を背中まで垂らし、涼やかな眼差し。整った鼻梁と、ほんのりと紅をさしたような唇。
そんなキミは誰だ?
びしっと指を向ける。
少しだけ間があった。
指をつきつけたまま微動だにしない私に小さな溜息をついて、彼女は研究室の扉に立てかけていた竹刀袋から愛用らしい竹刀を取り出す。
「突発性の記憶障害ですわね。少しばかり衝撃を与えれば、記憶も戻るかもしれませんわ」
今どき叩いて直るのは、作者の部屋のテレビぐらいだぞ。
「まぁ! テレビが直るものでしたら、あなたの頭も直りますわ。どうせ電波を受信して、機能しているのでしょうから」
こいつ、本気だな。
ピタリと竹刀を中段に構え、ジリジリと間を詰める彼女はインターハイでも個人三位という実力者でもある。
伊達梢(だてこずえ)。
聖蘭女子学園高等科三年。
見かけはともかく、一時期、この街を支配していた武装集団『閃血音流』の特攻隊長として名を馳せた女番長だ。ただ一人で対抗グループを壊滅に追い込んだことすらある。
――だったら良いな♪
しかし少なくとも剣道の有段者で、インターハイで入賞していた事は本当だ。静かに殺気などを浮かべている彼女に、私もつきつけた指のまま少し腰を落とす。
「通信教育の体術で、わたくしの打ち込みが止められますの?」
むむっ、余裕の笑みか?
私が三年間もかけ、血反吐を吐いて会得したような気分の体術を馬鹿にすると、後悔することになるぞ。それも猛烈に。
私が学んだ通信講座は、一日一時間の特訓で実力がつくらしいのだ。なんと三年ということは、二十日近くの修行ということよっ!
「世の武道家が聞けば、きっと絞め殺されますわね」
うむ。私も同感だ。
「では――世の武道家に成り替わり、成敗してあげましょう」
その言葉の直後、梢の剣先がピクリと動いた。
ふはは、まだまだよのう梢。
殺気が隠せないから、機を読まれるのよっ!
この天才である私には、一瞬のうちに気合の声をあげて、鋭い打ち込みをかけてくる梢が手に取るように知覚できていた。
「面っ!」
竹刀の半ばより少し先端寄りの部位。物打ちと呼ばれる部分が、私の前頭部に振り下ろされる。
「面っ!面っ!面っ!」
続けて切り返し。
鋭い弧を描いて、竹刀は私の頭を乱打している。
めった打ちですか?
しかし、まだまだ修行が足りんな。打つことに――気をとられ、姿勢が――乱れて――いる。
バシッ!
良い音がして、竹刀が止まった。
「はかせ・・・?」
私の頭に竹刀を打ち込んだ姿勢のまま、梢が私を見つめる。
ほら――怖くない。
怯えていただけなんだよね。
「あ、それ知ってますぅ」
一応、名作だからな。加奈子くんも知っていたか。
いや、身体を張った甲斐があったというものだ♪
「ひ、人が、心配、してあげれば・・・っ!」
地獄の鬼も、裸足で逃げ出すような声が響く。
こ、梢が怖い。
私も怯えて、噛みついてもいいかな?
隠すとか、隠さないとかではなく、明確な殺意が梢から吹きつけてくる。いや、これは鬼気というヤツだ。
加奈子くんと違い、梢は由緒正しい家の出身らしい。ひょっとして、鬼の血を引いた四姉妹の一人ではないのか?
幽鬼のような目をした梢が、ゆっくりと竹刀を頭上に掲げた。
「あなたを――殺します」
殺すな。殺すと死ぬぞ。
「絶対に殺します」
うむ、その意気や良し。
すでに説得は不可能だ。彼女に人間の言葉は、もはや通じまい。
「そーやって、はかせが、火に油を注ぐからじゃないんですかぁ?」
加奈子くんが遠巻きに呟いていたが、仕方あるまい。これが私の性分だ。
そうするうちにも、梢だった者から吹きつける鬼気は強くなる。
ふむ――どうやら、私も本気になる必要があるらしいな。眼鏡の位置を直しながら、私は梢の動きに意識を集中した。
梢まで私なら半瞬で届く。
無論、竹刀を持つ彼女の間合に入る。しかし竹刀よりも速く、私が自分の間合に入れば良いのだ。簡単であろう。
吹きつける鬼気が一気に強まった瞬間、私の身体は反応していた。
滑るように、沈み込むようにして彼女の懐に入り込む。そして彼女の左の胸にむけて手を伸ばす。
むにゅ。
右の胸にも手を伸ばした。
むにゅ。
うむ――八十六のCと見た。
「伊達先輩、いいなぁ・・・」
視界の隅で、加奈子くんが自分の胸を押さえていた。頑張って牛乳を飲め。
「ふっ・・・不埒者ぉっ!」
すさまじい平手打ちは、私を一撃で打ち倒す威力を秘めていた。
伊達梢――剣道部より相撲部向きの女よ。
「すっごい跡ですねぇ」
冷やしたタオルを持ってきた加奈子くんが、私の頬に残る手形に感心したような声をあげる。
「ふんっ!」
梢は、まだ怒っていた。
ただ触れただけの私を一撃で倒しておいて、被害者のような顔をするな。どう見ても、竹刀で殴打されて平手打ちまでされた私が、真の被害者であることは明白なのだぞ。
「それはどうかしらね――」
どこからか声が聞こえた。
聞き覚えのある、恥ずかしいメロディーが響く。
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ――」
どこかで聞いたような台詞だが、それを臆面もなく言うのがスゴイところだな。
「・・・天も呼ぶし、地も呼んでるみたいだし、人だって呼んでるような気分なの♪」
いや、歌われても困るのだが・・・。
私には、この声の主が誰なのか予想はついていた。
歌などを歌っていたおかげで、場所の特定も終わっていた。
だが、それを指摘してしまうと辛くなるだけなのだ。彼女のことを知らない者は、私の気持ちが理解できないであろうが、そのうちに思い知るがいい。
加奈子くん、バットを用意してくれたまえ。
「バットですか?」
うむ、冷蔵庫に入ってある。
「あのぉ・・・どの冷蔵庫さんですかぁ?」
この研究室には、私の拾ってきた冷蔵庫のような形をしたものがいくつか存在している。
ちなみに加奈子くんが開こうとしているのは、冷蔵庫に見える電話だった。暑い夏でも、良く冷えた状態で電話がかけられるらしい。
「あ・・・姫川さん」
加奈子くんが開いた『一見すると冷蔵庫だが電話だ』のなかには、すでに良く冷えた女子高生がいた。手には金色に輝くラッパを持っている。
「ピンポーン! 正解よ、カナちゃん。見事に一発で、ぷりちー碧ちゃんをGET!」
――閉めとけ。
確か、その辺に南京錠と鎖があったはずだ。後で、実験場の池にでも沈めておこう。
「そんなことして、池から女神様が出てきても知らないわよ。はかせが落としたのは、金のあたしか、銀のあたしか聞かれちゃうんだから」
金なら、どうなるのだ?
「金なら一枚。銀なら五枚なの」
加奈子くん、閉めとけ。可及的速やかに閉鎖だ。
それが漏れださないように、完全に密閉しておくのだ。
「ふふっ・・・。あたしが、怖いのね?」
怖い、だと?
余裕の表情。
やや栗毛色のかかった細い髪を後ろで束ね、やや上目遣いに私を見つめてくる。
何を馬鹿なことを・・・私は、誰の挑戦でも受ける。誰にでも挑戦する。逃げないし、逃がさない。
「それは迷惑なだけですわ」
梢が何か言っているが、所詮女には分からん。
男には逃げてはいけない事と、逃げてはいけない時があるのだ。無論、私は一歩進んだ『漢』と書く人間だからこそ、妥協もしない。
私は白衣のポケットから、ゆっくりと木刀を取り出した。
「ふふっ・・・あたしが、聖蘭女子無差別級格闘技の覇者『クィーン・オブ・ハート』の称号を受けたってコトを知らないらしいわね」
そう言いつつ、碧は金のラッパを吹き鳴らし、世にも怪しい暗黒舞踊を踊り始める。
どこからか謎の原住民が叩く太鼓だとか、得体のしれない獣の鳴き声が聴こえだす。
まさか、こやつ召喚術士・・・いや、幻術士か!?
「うふふふふふふ・・・どぉしぃたぁのぉぉぉぉ」
め、面妖な・・・碧の姿が幾重にも重なり、ぐるぐると回る。声が前後左右から響き渡る。
それどころか部屋にいたはずの、加奈子くんと梢がいない。どう考えても空間が歪んでいるかのように、部屋が広がったように見えた。
この能力があれば、土地問題も解決しそうだな。と、社会派の私だ。
「あたしは」「これで」「優勝」「したのよ」
うむ・・・四方から同時に喋られれば、聞き分けるのが一苦労であるぞ。
とある人物は、10人を相手に聞き分けたらしいが、4人の同一人物に一度に話されるのと比べて、どちらの難度が高いか興味がわくところだ。
仕方あるまい――本気の本気になろう。
私は木刀を左手に持ち替えた。鞘に納めたように腰に当て、右手からは力を抜く。
通信講座『居合抜刀術』によると、精神を集中しつつ足幅を広げて軽く膝を曲げる。そうして腰を落とし気味にして、鍔元をゆっくりと臍前まで送りながら刀身が水平になるように――
碧が4人に分かれたのならば、その4人とも倒せば良い。どれかは本体であろうからな。
完全な迎撃体勢に入った私に、碧は同時に動いた。
前後左右、それぞれの碧が私との距離を詰める。
――左から。
くるりと向きをかえ、私は木刀を真下から切り上げた。剣尖が彼女の顎に吸い込まれ、そのままスルリと頭を通り抜ける。
――正面っ
元の方向に向き直りながら、木刀を腰溜めにとった。体当たりでもするように、碧の水月に突き込むが手応えがない。
――背後かっ!?
鋭く剣尖が弧を描き、肩の高さでピタリと背後を狙う。半瞬の差で碧の喉元に片手突きが決まるが、その直後に碧は消える。
――おまえかっ!
最後に残った右側からの碧が、助走をつけて軽く跳躍しようとしていた。
制服のスカートが翻り、両膝をたたんでフワリと浮き上がろうとする。咄嗟に片膝をつきながら、私は木刀を逆袈裟に切り上げた。
彼女の胴体に木刀の刀身が食い込み――両断した。
「はかせ・・・どうしたんですかぁ?」
びっくりしたように、加奈子くんが私を見つめていた。
私は碧を切り捨てたままの姿勢で、ゆっくりと周囲を見渡す。
私の、研究室だ。何も変わったことなどない。
「急に木刀なんか振り回すと、びっくりしちゃいますよ。それに危ないです」
加奈子くんが、少し唇を尖らせる。もう高校生なのだが・・・。
乱雑に書類が並べられたテーブルには、湯気をたてる紅茶のカップが置かれていた。私の分だけだ。
梢と碧は、一体どこに隠れているのだろう?
「どうしたんですか、ゴミ箱なんか覗きこんで・・・?」
いや――つい先刻までここに・・・。
言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。
「はかせぇ・・・また、寝てないんですねぇ? ちゃんと眠らないと、ダメですよぉ」
そう言って加奈子くんが、私の顔に自分の顔を寄せる。
うむ、少し疲れているのかも知れぬな。天才といえども、休息は必要だ。
加奈子くんが引いてくれた椅子に腰掛け、紅茶を口に運びかけた私の足元に何かが当たる。
何気なくテーブルの下を覗いた私の目には、碧が手にしていたはずの金色のラッパが映っていた。
「ど、どーしたんですかぁ?」
その瞬間、どこからか碧の勝ち誇ったような笑い声が聞こえたような気がした。
「こ、コーチョクですかぁ!? は、はかせが大変ですぅ――!」
加奈子くんの悲鳴は、よく聞こえていた。
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