はかせ 外伝
    残   照

by/初代 達人

 はかせの部屋で、本棚の奥に埋もれるように挟まっていた写真を手にして、梢は小首を傾げた。
「はかせ――?」
 今時珍しいモノクロのスナップ写真。
 どこかの剣道場で、練習の合間にでも撮られたものだろう。道着姿や剣道の防具をつけたままの大学生らしき青年達の片隅で、藍染めの道着に髪を短く刈り込んだ男が笑っていた。
 梢の知っている彼よりも、少しだけ若い。
 どこか照れたような優しげな笑みを浮かべている写真の中の彼に、梢は少しだけ微笑む。
「――こんな笑い方も、できたのですね」
 てっきり昔から、ああなのかと思っていた。
 無意味に尊大な振る舞いをしてみたり、訳の分からないことを滔々と語ってみたり、街中で恥も外聞もなく奇行をしている男だと――梢は考えていたが、以前はマシだったらしいと認識を改める。
 穏やかで落ち着いた雰囲気を感じさせる写真は、いつもの馬鹿らしいまでの高笑いや、他人を小馬鹿にするような皮肉気な笑みを浮かべる彼とは別人とさえ思えた。
「……別人かも知れませんわね。限りなく、よく似た他人だったり――親戚の誰かという可能性も有り得ますし」
 一瞬、本気で考えかけて彼女は赤面する。
 どうも彼と知り合ってから、自分は疑り深くなってしまったらしい。無論、そういったくだらない事のために、何年も前から準備していそうな人間ではあるが、そこまで疑っていたらキリがない。
「こうしていれば、変質者には見えませんのに――」
 苦笑に似た笑みを浮かべて、梢は写真を手にして手近な椅子に腰掛けた。
 ゆっくりと写真を眺めてみる。
 ほんの十人足らずの集合写真だが、そこに写っている者の表情は明るく飾りのない正直な笑みだった。
「あら――」
 その写真の一人一人の表情を見ていた梢は、ふと一人の女性に気付いて声を上げる。 はかせの隣で、穏やかに微笑む女性に見覚えがあるような気がして、梢は目を瞬く。 白い着物に肩掛けを羽織った若い女性は、綺麗に切り揃えられた黒髪を傾げて上品な笑みを浮かべていた。
 穏やかな雰囲気が、その女性を包んでいるのが分かる。ほんの少し――少しだけであるが、隣に立って笑うはかせに身を寄り添うようにしている女性の雰囲気は梢にとって懐かしい感覚でもあった。
 何か――何かが引っかかる。
 自分の中に湧き上がろうとする感覚に戸惑いながらも、梢はその雰囲気を思い出そうと眉根を寄せる。
 この雰囲気と同じ空気をもつ人を、彼女は確かに知っていた。
 写真から受ける印象に過ぎないにも関わらず、梢は確信に近いものを感じていた。
「――何を睨んでおるのだ?」
 不意に耳元で囁かれた声に、梢はビクリと背筋を震わせた。
 その一瞬の隙をつくように彼女の手から写真が抜き取られていた。頬に吐く息を感じるほどに間近から声は聞こえたにも関わらず、その張本人は彼女から数歩離れた場所で取り上げた写真を眺めていた。
「は、はかせ……?」
 偶然に見つけたものではあるが、勝手に彼の写真を見ていたことには変わりない。
 どことなくバツの悪いものを感じて、梢はやや上目遣いで彼を見上げる。
 いつもと変わらない黒いシャツに白衣を羽織ったという怪しい格好で、彼は写真に視線を落とした。
「おおっ、よくぞ見つけたな!」
 白衣のポケットから安っぽいチョコレートを取り出しながら、はかせは写真をもう一方のポケットにしまいこむ。
「ほれ、褒美の品だ。ぎぶみーちょこれーととか唱えたら、もう一枚進呈してやるぞ」 そういったはかせの手のなかで、まるで手品のトランプのようにチョコレートが次々と増えていく。
 ひらひらとチョコレートを目の前で振るはかせに、梢は冷ややかな視線を向けて皮肉気に口を開いた。
「どうせ食べようとした途端に、葉っぱにでも変わるのでしょう?」
 梢の言葉が言い終わらぬうちに、彼の手には無数の木の葉が溢れだす。つい先刻までのチョコレートなど、どこにも見当たらなくなっていた。
「はかせ……?」
 ある意味、見抜いたというべきだろうが、今度は葉が増えるのが止まらなかった。
「ち、ちょっと……いいかげんにしませんと……っ!?」
 溢れだした木の葉は、すでに足下を覆い尽くそうしていた。
 そして、どういった仕掛けなのか見当もつかないが、はかせの両足から吸い上げられるように葉は彼の全身を覆い始めていく。かけるべき言葉を彼女が見失っているうちに、はかせの全身は一分の隙もなく木の葉に覆われてしまった。
「忍法、木の葉隠れ」
 葉っぱ人間となったはかせが呟く。
 軽い頭痛を感じながら、梢は目の前の人型に集められた葉っぱを見上げた。
 見れば見ただけ頭痛が増すような気分に襲われ、彼女は深々と溜息をつく。
 確かに木の葉に隠れているが、あまりにも滑稽であり人を馬鹿にしているとしか思えなかった。
 梢はゆっくりと部屋の壁に立て掛けておいた竹刀を手にして、にっこりと微笑む。
 ぴたりと一度中段に構えてから、澱みなく上段にまで振り上げる。そうして呼吸を二、三度整えてから静かに間合いを詰めた。
「――面っ!!」
 鋭い踏み込みと、何の躊躇もなく打ち降ろした竹刀が頭から一気に顎先までを切り降ろす。
「えっ!?」
 首から上の部分は、その一撃であっけなく壊れてしまった。
「く、空洞ですって!?」
 無意識のうちに一歩下がり、竹刀を中段に戻す彼女の前で、首を失った人型が操り糸の切れた人形のように力なく崩れていく。
 確かに目の前で木の葉に覆われていったはずだった。
 しかし形を失い、ただの葉の山になってしまったそこには、彼の姿などありはしなかった。
 試しに竹刀の先で崩れ落ちた葉の山をつついてみるが、やはり何もない。
 そうしているうちに室内にも関わらず一陣の風が大量の葉を宙に舞わせ消してしまった。
「は、はかせぇっっつつつ!」
 ズキズキと痛むこめかみを押さえながら、梢は竹刀を握り直した。
「はかせ、ちょっと姿をお見せなさいっ!」
 すぐ隣の部屋で、彼女の怒りに満ちた声を聞き流して彼はポケットからモノクロの写真を取り出した。
 だいぶ痛んでいた。
 モノクロの写真だが、端の方は色褪せてセピア色になろうとしている。
 それでも、はかせには十分だった。いくら色褪せようとも、この時のことは昨日のことのように鮮明に思い出せた。
 そして、このすぐ後に起きた事も−−忘れられるわけがなかった。
「……………」
 胸に溜まった空気をすべて吐きだすかのような溜息をつき、彼は写真を裏返す。

  『昭和二十年八月六日 広島 茶臼山にて
     佳乃と古賀道場門下生一同』

 墨で記された日付と場所は、もう二度と戻ってはこない。

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